2015年6月22日 (月)

布団遍歴 3

私は26歳の冬、2週間の入院生活を体験した。

入院当初は何も感じる余裕がなかったけれど、
体調が回復してくると与えられた掛け布団の不快さが気になってきた。

布団を掛けるとモワーッと暑くなってくる。
でも掛けなかったら寒い。それで掛けたらまた暑い。
入院生活に苛立ってもいた私が、つい我がままになって

「このフトン気持ち悪いわ~!」と

言うと、さっそく次の日には夫が「これでええか?」と、
作りたての軽い掛け布団を届けてくれた。もちろん素材は綿。

藤色とピンクの花柄の布団は柔らかくて、
掛けると暖かいけれど暑くならなくて、とても快適だった。

昨日文句を言ったら今日には新しい布団が届くとは・・・さすが製綿屋・・・
というより、そんなに私が恐かった??

そして初めて『布団の素材』を意識した瞬間だった。
病院のはお手入れが簡単な吸湿性のない化学繊維の布団。

こんなちょっとした体験があって、その後30歳を目前に夫と
寝具の小売店『スヌーズタイム』をオープンした。

勤めていた会社の引き継ぎがなかなか決まらず、
私は退職してからわずか20日で寝具店の女将となってしまった。

というか、会社勤めが楽しくて楽しくて辞めたくなかったのも事実。
その暮らしが一変するのが恐ろしかった。

その恐怖は的中した。布団のサイズすら把握できていない私。
何を聞かれたってほとんどわからないことだらけ。

オープン当初は夫の友人である寝具店の人たちが応援に来てくれて、
私は店をウロウロしていたらよかったけれど、日がたってその人たちがいなくなると、
たちまち一人で店番をすることが出てきた。

『お客さんが来ませんように!』

願えば願うほど、私よりも知識のあるお客さんが来店して質問を浴びせてくる。
『学校の勉強の方が簡単やわ・・・』

実はその頃の私は、毎日のようにからだじゅうに出る蕁麻疹(じんましん)に
悩まされていた。体はとても正直だ。

ところで当時、私たちは新居で使う羽毛布団を準備していた。

大阪西川で仕入れたクィーンサイズのフカフカの布団に
短いフリルのついたかわいい花柄のカバーを選んで・・・
でも開店時のあまりの忙しさで包装を解く気にもならず、

見かねた私の母が、知らないうちに布団にカバーをかけて
綿わたの掛け布団と取り替えてくれていた。

私にとって初めての羽毛布団。衝撃の軽さに当時は満足したけれど、
現在は居間のクッションに変身している。

珍道中みたいな店の歴史とともに、私の布団に対する感覚も
どんどん変化していきます。言い換えると職業病が悪化?していくという感じ・・・

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2014年12月27日 (土)

布団遍歴 2

私は23歳で夫と結婚。仲人は夫が1年間修業させてもらった、京都にある寝具店の店主夫婦に依頼した。

そこは壁一面を商品が埋め尽くし、ここに来たらどんな寝具でも揃いそうな布団屋。婚礼前の挨拶に伺った際、夫がかつて寝泊まりしていた、今は主のいない小さな部屋を見せられた。

『綿屋のぼんぼんが、こんなところで一年間辛抱 したのか・・・』と、何ともいえない感情で胸が詰まった。人が人に対する愛情を深めるのは、きっとこんな瞬間なのだ。

 ・・・が、後に聞くと、懐の深い修業先のご家族に甘えた夫は、修業の最終日まで寝坊して、「小山君、今日くらいはよ起きや~。」と、だんな様に笑われたそうな。

悪条件は夜の寝床だけ。とんだ寝坊助め、胸の底から湧き起こった私のあの感情を返してくれ! 

その当時、婚礼布団は花嫁側が用意するのが通例であったが、嫁ぎ先の家業が代々受け継がれた製綿業。綿わたの布団を作ったり、仕立て替えをする商売を営んでいたため、私の場合、布団は夫側が準備してくれた。多くの女性はこのような機会に母親と布団屋に行き、自分たちが使う布団の中身や柄、サイズや値段がどうだとかなど、少しは布団の知識を身につけるものだ。でも私には幸か不幸かそんな機会はなかった。

(そんな布団屋に行ったこともない私が、その約6年後にOLから一気に布団屋の女将になるのだから・・・)  

ところで私たちが結婚当初から使ったのは、インテリアショップで見つけたシンプルなクイーンサイズのベッド。バネのきいたスノコの上には自家製の綿わた敷き布団。掛け布団ももちろん自家製の綿わた入りのものだった。

ベッドのフレームがゴージャスからナチュラルテイストに変わっただけで、使う布団は結婚前のスタイルとほぼ同じ。

ただ、大きさが今までの婚礼では作ったことのないクイーンサイズ。掛け布団は210㎝角の正方形で、こたつ布団に等しい。ベランダに干すのはたいへんだった。それでも「重い」と文句を言わなかったのは、綿わたの布団しか使ったことがなかったのと、夫による布団作りの優れた技術のおかげだと、少~し褒めておこ。

このころ私は結婚前からの仕事を続けていた。バブル経済の真っただ中、おシャレと遊びにでかけることにしか関心のないアホな私は、夫の仕事とはいえ布団への興味は薄く、与えられた寝具で当たり前のようにスヤスヤ眠っていた。

ところが26歳の冬に体験した入院生活が、その『ちがい』を知るきっかけとなったのです。 次号につづく

 

 
 
 
 
 
 

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2014年11月 2日 (日)

布団遍歴 1

第1章

私がまだ幼稚園から小学校低学年の頃は、兄と2段ベッドで眠っていた。

私は下の段。その頃どんな布団を使っていたのか覚えていない。

ある年の夏、家族旅行から帰ると、残していった従順なボクサー犬が怒り狂ってドアをたたき壊し、私のベッドでふて寝をしていた。それを機に汚れた布団を捨て、2段ベッドともサヨナラ。それぞれの部屋をもらうことになった。

それぞれといっても続きの和室に家具で間仕切りをしただけで、私の部屋は家族全員の通り道でもあった。

それからは畳の上に布団を敷くスタイルになり、一番下に分厚いスポンジの三つ折りマットレスを敷いていた。その上には白いカバーをかけた綿わたの布団が敷いてあったように思う。

中学に上がり、家を増築したのを機に、両親が寝室にしていた部屋をもらった。

そこは洋間だったので、初めてシングルベッドを買ってもらった。布団は多分、今まで使っていたものだっだと思う。

高校に上がる頃、古い家を建て替えた。そこで私は一番大きな部屋をもらった。

と、同時に両親が使っていた宮つきのダブルベッドを使うことになった。

今どき見なくなった漆黒の豪華なフレームにやわらかなスプリングの感触。

可愛いネグリジェに身を包み、夜だけはお姫様気分で眠りについていた。

高校生にしては贅沢な寝室だ。暖色系の派手なベッドスプレッド(これも両親のお古)を使っていたことを鮮明に覚えている。

でも、布団といえば掛け、敷きともに綿わたの布団、冬はぶ厚いウールの毛布を使っていた。

ベッドを使いながら畳に敷くのとなんら変わりのない睡眠環境に、なんの違和感もなく満足して眠っていた。

今思えば、情報に乏しい社会はけっこう住みやすくて、自分なりの小さな幸せがいっぱいあったのかも知れない。

幸せのマイルームで娘時代を過ごした私は23才で今の夫(当店の店長)と結婚した。

この頃の私は、夫が将来寝具の小売店を持つ予定だということを知りながら、自分がそこにいることを想像することもなく、呑気にOL生活を謳歌していたのです。

次号につづく

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